親父の選択

自分勝手に書きながら価値を提供したい親父のブログです

手紙を書くようなスローな生活習慣こそ、いまの時代の人生に豊かさをもたらすんじゃないか

   

medium_9692711856

手紙、最近書いてないですね。強いて言うと年末の年賀状ぐらいでしょうか、手紙といえるのか怪しいですけど。。

たぶん皆さんも書いてないですよね。最近は、連絡手段といえばパソコンか携帯のメール、LINEとかのスマホのコミュニケーションアプリ、よほど急ぎな用事があったとして、たまーに電話です。手紙を書く機会はまったく減りました。

photo credit: dreams & pancakes via photopin

この20年ITの進歩が目覚しく、仕事だけに限らず普段の生活でも情報の流れ、伝達スピードが早すぎるほどです。ちょっと違和感を感じているオヤジ連中もきっと沢山いることでしょう、このわたしも含めて^^。※あのテレホンカードを使っていた頃が随分昔のようです。。

スポンサーリンク

外山滋比古の「ことばの教養」のなかで手紙をモチーフにしたエッセイが幾つかあります。

ひょっとしたきっかけで小学生から高校卒業まで文通した少女、たまに来る郵便屋さんの速達の配達がせわしいという話し、そして18世紀のイギリス貴族であったチェスターフィールドが息子あてに毎日!?送った手紙の話し。

外山さんはこれらの手紙に関するおはなしのなかで持論を展開しています。そんなに急がなくてもいいよ、毎日よくも書けるよねぇという時間に関すること。あとは礼儀についてです、相手に失礼のないようちゃんと返事をしていますかと。

この本自体が昭和57と63年に書かれたものです。その当時の背景も酌んで読むと今の世の中ホントに忙しくなったなんだんぁとつくづく実感させられます。

 

いま、ゆっくりとした、スローなコミュニケーションが不足していると感じます。

結果として、

気持ちにゆとりの無い人が増えています。

世間のスピードがこんなふうに標準化されてしまったので、自分だけそのスピードから離脱することは普段の生活であれ仕事でも難しいことです。しかし気持ちのゆとりを無くしては人生ギスギスしてしまいますよ。対人関係もうまくいかないでしょう。

外山さんが問題視しているような、一般的に誰もが手紙を書いてた頃のような時代の「ゆっくり加減」「こころのゆとり」をいまこそ持つべきではないでしょうか。

コミュニケーションは自分ばかり先行、主導ではうまくいきません、時にはスローにあいての間・ペースをまって進めるのも、互いに理解しあうためには必要です。

手紙を書くという「スロー」な習慣は、いまこそ僕らのこころに豊かさを与えてくれるはずです。

 

 - 書評