親父の選択

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ロシアンロケット パベル・ブレ

      2015/05/16

先日、旧ソビエト代表アイスホッケーナショナルチームが日本に来ていた頃の記事を投稿しました。 

世界最強 ソビエト連邦アイスホッケーナショナルチーム - 親父スポーツ

その時の来日メンバーに彼もいました。90年代のソビエト・ロシアチームの中心選手、FWパベル・ブレです。

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 photo credit: Håkan Dahlström via photopin cc

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ロシアンロケット パベル・ブレ(Pavel Bure) 

そのスケーティングスピードからついたあだ名はロシアン・ロケット。ブレが走り始めると相手DFの危機警戒度は瞬く間にマックスに達します。

単に走るのが早い選手は他にもいますが、それとブレが違うのがトップスピードに達するまでの時間。力強いけりで氷をえぐり、獣が走り出すかの如く足を回転させます。スタートして2秒後にはトップスピードです。もう後ろからのディフェンスなど有り得ません。

ディフェンダーは距離感を保ちながら、ゴールから離れる外へ外へと追いやるのに必死です。

ソビエト連邦崩壊 旬な選手が世界のプロリーグへ流出

日本で試合があったのが1990年。そしてソビエト連邦が崩壊したのが翌年1991年の12月。それまで国内の地域軍隊チームの所属が大半だったソビエトの選手たちの海外流出が始まります。

過去に海外チームへの移籍が無かったワケではありません。ただしピークを越えた選手に限ってのことでした。

例えば88年のカルガリーオリンピックでKLMラインのひとりだったセルゲイ・マカロフ(Sergey Makarov)。このオリンピックでソ連は金メダルを獲得しましたが、1958年生まれのマカロフはすでに30歳。年齢と金メダルのご褒美的な意味合いあって北米プロリーグの移籍も国から許可されました。30歳だったら若いじゃん、といわれそうですが、当時のアイスホッケー選手のピークは20代です。30代で活躍する選手は少なかったんです。

旬な若い選手を海外に放出するなど、ソビエト連邦の名誉を考えると有り得ない話でした。

そんな過去のしきたりの呪縛がとうとう解けたんです。ソビエト連邦の崩壊、そして共和国国家の設立で、ソビエトの優秀な若い選手の海外チームへの移籍が活性化されました。

この時のパベル・ブレ、まだ21歳です。

ナショナルホッケーリーグ(NHL)バンクーバーカナックスへ

Vancouver Canucks 2015 Calendar

新人扱いでドラフトで獲得したと記憶しています。背番号は旧ソビエト代表時代からつけている10番。所属直後から第3セット目の右ウイングで出場していた記憶が。。当時はNHK衛星放送がNHLを放映していました!!理由は分かりませんが、NHKってアイスホッケーの放送に精力的だったんです^^

そのブレに着目していた?NHKがブレのNHL初ゴールの試合を放映したんです。もちろん親父も見ましたよ!

パックを受けると、ホントはやい、はやい。ディフェンダーは付いていけません!!そして最後はキーパーもかわしてゴールです。早いだけでなくテクニックも上達した印象、3年前に日本の東伏見でプレーしたころより体も大きくなったように見えます。

その後のNHLでの活躍は言わずもがな。リーグを代表するスーパースター選手、点取り屋になりました。2012年にはNHL殿堂入りも果たしたようです。

あのスピード、今でも忘れられません。

 

 - NHL, アイスホッケー