オヤジからの最初で最後のLINE
親父が逝きました。
現在の日本人平均寿命と比較すると10年ほど若いです。あと10年生きていれば孫の結婚式にもでれたでしょうに。。少し早すぎたな、オヤジ。。
私が男だからなのか、それとも他人もそうなのかよく分かりませんが、実父の死にも不思議と涙は出ませんでした。
喪主だったのであまりにもやる事が多く、悲しむ時間など無かったというのが正直なところです。
ホントやること多すぎる、喪主って。逝去して直後からは暫くまともに床につくことは出来ませんでしたもん。
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告別式が終わるまで線香を欠かさぬようせねばなりません。
これは私が自分でやると申し出ました。母も居ると言ってきたんですが、それまでの病院通いの看病であまりにも疲労が明らかだったので家に戻しました。夜中に弟がヘルプ?で着てくれましたけど、線香を絶やさぬよう本気で徹夜でしましたね。
翌日の朝からは通夜・告別式の段取りの打ち合わせで大忙しです。打ち合わせの相手は葬儀社のコーディネーターさんです、歳は30半ば程度で男性。
式場の選定から始まりどれだけの人数に弔ってもうやら、祭壇はどれにするやら、花はどれだけ置くのか精進落しの料理などなど。不謹慎かもしれないけど、結婚式の披露宴を彷彿させますね。披露宴の全ての打ち合わせを1日で済ますカンジです^^。
実際に葬儀は知らないことばかり。これまで弔問、参列したことはあったけど喪主は当然初めての経験。例えば自分の家の宗派なんてまったく認識ありませんでしたから!弟が知ってて助かったけど。。
そんなこともありながら滞りなく一連の式、諸々の手続き、決め事を済ますと後は弟と母に任せて私は自宅に戻りました。1週間ぶりの自宅です。
自宅に戻ったとたんに私が体調を崩したのはいうまでもありません。
いや、帰宅途中の飛行機のなかで既に怪しかったなぁ。2回もトイレで嘔吐しましたから、飛行機の中で((;゚Д゚)!
隣の座席の人には迷惑かけちゃいましたね、済みませんでした~。会社からは実父逝去ということで5日間の忌引きをもらいましたが、出来ればもう2,3日自分の体調回復に時間が欲しかったです。。
会いたいときに会えるのは羨ましい
そして仕事復帰。もう会社に迷惑をかけるわけには行きませんから、既に終わったことだと自分で納得しながら仕事に戻ります。
ところが暫く日が経った今になって、色々とオヤジについて思うことがあるんです。
私は大学入学と同時に上京したので両親と一緒に暮らしたのは18歳まで。鉄砲玉とはよく言ったものでこっちは悠々大学生活を満喫しながらロクに地元へ帰りませんでした。なので思い出といえばわたしが高校生までの両親なんです。
もっとオヤジと会っておけばよかった。一緒に酒を交わしながら話しておけばよかった。
いま切にそう思います。
会っていないので仕方無いけど、私、オヤジに会社・仕事の相談をしたことがありません。人間関係、嫁、子供の相談をしたこともありません。家を買うのも自分で決めた後にほぼ事後報告でした。
もし仮に質問していたら、相談していたら、いったいオヤジはどういう回答をしたんだろうか?
もうそれを聞く術はありません。
そんな意味で私は親から学ぶべきところをちゃんと教わっていない大人になっています。オヤジから教わってないことだらけです。にも関わらずオヤジは逝ってしまいました。
そもそもオヤジは寡黙な人間でした。18歳までの記憶でも、ちゃんと会話があって、しゃべりながら教わったという記憶があまりありません。逆に突然手が出るオヤジでしたね、悪さをして問答無用で容赦なくビンタを喰らった6歳の記憶はちゃんとあるし^^。
会おうと思ってすぐに両親と会える人は羨ましい。
私の言い訳がそうだったように地域的な理由もあるでしょうけど、やっぱり会える時にはあって、コミュニケーションをとっておくべきです。大人になっても親から学ぶところはしっかりと教わるべきです。
最初で最後のLINE
オヤジに送ったスマホ、逝くちょうど2週間前に最初で最後、1度だけ連絡がありました。
LINEのビデオ通話でかかって着たのに、笑えるのが病室は既に消灯時間で真っ暗!顔みえんやん!って^^。多分私の帰宅時間を計らって掛けてきたんでしょうけど。。声だけで普通の電話と変わりないやん。
まぁ、いいよ、話せたから。20分ほど話したよなぁ、就寝時間なのに、弱ったカラダで無理して。。
この時のLINEのやりとりが最後の会話になりました。
最後にスマホをプレゼントして、ちょびっとは孝行できたかな?いや、全然足りんか。。どっちや、オヤジ!?
オヤジ、今までありがとう。
ここ数年は病気で辛かったと思う。そっちには病気なんてないやろ?どうぞ存分に好きなことして満喫してや^^